ある朝の気づき

心のこと

「なんで?」が怖かった

夫は以前から、

「なんであんたは〜なんだ」
「どうしてあんたは〜なんだ」

という言葉を強い感情とともにぶつけてくることがありました。

しかも、その内容は私からすると勘違いや思い込みに感じることも少なくありませんでした。

先日、猫に会いに行った後のことです。

後日、夫から意味の分からないメッセージが届きました。

「なんであんたにそんなことを言われなければならない?」
「オレには人権はないわけ?」

私には何のことを言われているのか、まったく分かりませんでした。

必死に説明していた頃

思い返せば、こうした”訳の分からない怒り”は昔から何度もありました。

そのたびに私は、

「違う」
「そういう意味じゃない」
「私はそんなこと言っていない」

と必死に説明していました。

誤解を解かなければ、もっと怒らせてしまう気がして怖かったからです。

でも、どれだけ説明しても伝わらないことが多くありました。

私はずっと、

「理解してもらえない苦しさ」

を感じ続けていたのだと思います。

身体が覚えていたこと

今振り返ると、夫の「なんで?」という言葉は、私にとって単なる質問ではありませんでした。

怒りの前触れ。

責められることの始まり。

いつ爆発するか分からない緊張の合図。

そんな意味を持つ言葉として、身体に刻み込まれていたのだと思います。

だから大きな喧嘩になる前から、私は神経を張り詰めていました。

繰り返していた悪循環

夫が怒る。

私は誤解を解こうとする。

でも、それがかえって相手を感情的にさせる。

そして私も限界になって怒る。

そんな流れを、何年も繰り返していた気がします。

少しずつ変わってきたこと

別居して離れてみて、少し変わったことがあります。

以前ならすぐに反応していた言葉に対して、

「すぐ説明しない」
「少し距離を置く」

ということが、少しずつできるようになってきました。

以前の私なら、恐怖や不安から即座に反応していたと思います。

だからこれは、私にとって大きな変化です。

頭と身体は別々らしい

とはいえ、身体はまだ正直です。

夫からLINEが届くと、心臓がドキドキします。

深いため息も出ます。

頭では

「全部に反応しなくていい」

と分かっているのに、

身体はまだ

「危険」
「また怒りが来る」

と感じているようです。

長い時間をかけて身についた反応は、そう簡単には消えないのかもしれません。

別居は必要な距離だった

それでも、今の私は以前とは少し違います。

相手の怒りや混乱に、全部巻き込まれなくなってきました。

これは無関心ではなく、

「自分を守るための距離」

なのだと思います。

別居したことで、私は初めて気づきました。

私は長い間、相手の感情に神経を張りながら生きていたのだと。

怒鳴り声や大きな音だけでなく、LINEの通知にまで身体が反応するほどに。

もちろん今でも、不安や寂しさ、喪失感はあります。

それでも私は、壊れてしまう前に距離を取ることができました。

おわりに

未来の答えは、まだ出ていません。

でも、

「理解してもらおう」
「分かってもらおう」

と必死になっていた頃よりも、

今は少しずつ、

自分を守る方向へ歩き始めている気がします。

それが、今朝の小さな気づきでした。

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